戦争は美徳
- 2020.04.02
- Gifted 価値観の多様性 地理 思想 歴史 経営 軍事
- Gifted, チンギス・ハン, モンゴル, モンゴル帝国, ロシア, 不意打ち, 価値観の多様性, 倫理, 和平交渉, 地理, 奴隷, 好戦的, 平和主義, 思想, 戦争, 文化, 歴史, 残虐, 民族性, 経営, 要塞, 要害, 軍事, 道徳, 選択肢, 闇討ち, 騙し討ち
戦いを美徳と捉える価値観
タイトルは、ロシアにおける普遍的価値観である。
ロシア人は昔から伝統的に戦いというものを美徳と捉える文化がある。
この点日本人とはまるっきり正反対である。
これはありとあらゆる事に共通して言える事だが、どの様な価値観、どの様な思想にも何故その考え方に至ったのかという背景が必ずあり、何の脈絡もなく唐突にそういう文化や価値観が発生するという事はあり得ない。
チンギス・ハン
ではそもそも何故ロシアでは戦いが美徳という価値観が根付いたのだろうか。 まず世界地図か地球儀を見てみてほしい、ロシアという国の直ぐ隣にはモンゴルがある。
そしてモンゴルと言えば名前だけは誰でも名前だけは知っているが具体的に何をした人なのかはほとんど知られていないチンギス・ハンを筆頭としたモンゴル帝国を築き上げた事で有名である。
そのモンゴル帝国というのが一体どういう国であったかは、チンギス・ハンの名言がその一言でモンゴルという国のお国柄を表している。
「敵を撃破することは最高の喜びである。徹底的に追撃し、敵を涙の海に投げ捨てよ。財産を略奪し、敵の女を腕に抱け」
超好戦的民族
このチンギス・ハンの言葉が表している通り、モンゴル人というのは基本的に超好戦的な民族であり、その上チンギス・ハンは戦の天才でヨーロッパ人の誰も彼もがまるで歯が立たないという圧倒的な強さを誇る。
更に、この当時は戦いに負けた国家の民衆は奴隷として売り払われるというのが世界的に一般的な対処なのだが、モンゴル人はこの当時にしては珍しく奴隷を一切取らず、男は全員皆殺し、女はレイプしてから皆殺しというのがモンゴル人の一般的な戦後処理である。
もしくは、捕虜にした人間は戦場の最前線の最も危険な地域に投入するかのどちらかであり、いずれにせよモンゴル人は捉えた捕虜を生かそうとはしない。
しかも、モンゴル人はただ皆殺しにするだけでなく、特に残虐な殺し方を好む傾向が強い。
その上モンゴル人には倫理や道徳というものが文化的にほとんど無く、不意打ち・闇討ち・騙し討ちは極当たり前に行う。
そのため、和平交渉を行うフリだけして敵の首脳部を誘き寄せ、丸腰で交渉に出向いてきた所で暗殺してより潤滑に侵略を行うというような事を平然と行うのである。
モンゴル人相手に平和的解決は不可能
要するに、モンゴル人相手に話し合いによる平和的解決というものが実現する可能性はまず絶対に無い。
それでいて、負けた民族は皆殺しにする上に、しかも誰が戦ってもまるで歯が立たないくらい圧倒的に強い。
モンゴル人というのはヨーロッパ人から見れば悪魔のような存在である。
にも関わらず、ロシアという国はその悪魔の様な国が直ぐ隣に存在しているのだ。
モンゴル人は話し合いによる和平に絶対に応じない、負けた国の民衆は皆殺し、しかもただ殺すだけでなく最大限惨たらしく殺す、その上誰が戦っても勝てないくらい戦の天才。
となれば、ロシア人からすれば残された選択肢は二つに一つ、それはつまり「戦わずして死ぬか、戦って死ぬか」という事である。
そしてモンゴル人は負けた国の民衆を皆殺しにする上にしかも可能な限り惨たらしい殺し方をするとなれば「戦わないで惨たらしく殺されるくらいなら戦って死んだ方がマシ」という価値観が芽生えるのは極自然な話の流れであると言える。
僅かに残された勝てる可能性
しかも、ロシアという国は圧倒的防御側有利な天然の要塞である。
という事はつまり、戦力的にも圧倒的に劣っており、その上戦術・戦略的にも劣っているロシアであるが、その天然の要塞と言われる地形を最大限活用して防衛戦闘に徹している限りはかろうじていギリギリ勝てる可能性もある。
となれば、必然的に最初からロシア人には選択肢など残されていないのである。
どの様な価値観にも必ず原因がある
この様な歴史的背景が存在することからロシアという国では戦いが美徳という価値観が存在する。
この様に、多様な価値観というものを理解する上での最大のコツは「そもそ何故その価値観が発生したのか、どういった経緯でその価値観が発生したのかという背景を知る」事だと結論付けられるだろう。
会社の経営に必要な知識を体系的に整理して提供している講座の目次はこちらです。
- 前の記事
高IQ者は飽きっぽい 2020.04.01
- 次の記事
よく効くダイエット法 2020.04.03