教祖に求められる才能
※マッドサイエンスシリーズは倫理的に問題の有る科学を扱っているため倫理にうるさい方はお帰りください
カルト宗教の教祖になって金・女・その他諸々を搾取して堕落の極みな生活したい!
そう考えたことはありませんか?
しかし現実的にカルト宗教の教祖になるためにはどんな能力が必要だろうか。
教祖の目的は人々を幸福に導くこと
古今東西を問わずしてどんな宗教も「信じるものは救われる」と教える。
だから、宗教の目的は「人々を幸福に導くこと」だと言ってよい。
ゆえに、事実かどうかはともかくとして「信じれば救われる」と思い込ませる何らかの要素が必須なのだ。
その為にはまずなんでもいいから神を用意する。
神が無ければ宗教は成立しない。
同様に、聖地も何でも良いから定めておこう。
新興宗教の本質は反社会性
だが、ぽっと出の新興宗教がそう簡単に受け入れられるとは思えない、そう考える人もいるのではないだろうか?
しかし、冷静に考えても見ればキリスト教も仏教も歴史上初めて登場した時は新興宗教だった訳である。
だが、何故それらの宗教は急速に浸透したのだろうか?
それは新興宗教の本質は「反社会性」だからこそだ。
例えば、キリスト教の教祖であるイエス・キリストは当時のユダヤ教の教えに反発し、ユダヤ教から分派する形で新しい宗教を作っている。
では、何故ユダヤ教に反発したのであろうか。
それはユダヤ教の教えでは「日曜日は安息日であり、神が仕事を休まなければならないと定めた日なのだから安息日にはありとあらゆる労働を行ってはならない」とユダヤ教では教えている。
この「ありとあらゆる労働」という所が曲者である。
例えば、安息日にどこかの病人の病状が急速に悪化して急患が発生し、今すぐにでも治療が必要だったとしよう。
だが、この当時のユダヤ教の法律では「安息日におけるありとあらゆる労働を禁止し、これを破った場合は罰則が与えられる」となっているものだから、安息日に医者が患者を助けるべく治療行為を行うとこの医者は犯罪行為を行ったとして罰せられるのだ。
これに対して「流石にそれはおかしい、人を守るためにルールが有るのであってルールを守るために人があるのではない、ルールを守ることそれ自体を目的化するのは本末転倒である」と唱え、ユダヤ教を改革しようとしたのがイエス・キリストである。
裏を返せば、この当時のイエス・キリストの教えは当時の一般的な社会常識と異なる反社会的な思想を広めた宗教だったのだ。
何時の時代、何処の国でも問題を抱えていない国など存在しない。
だから、現代社会が抱えている間違いを批判するという反社会的行為が新興宗教がウケる理由なのだ。
つまり、間違った社会に対して正義の鉄槌を下すのが新興宗教の本質なのである。
ゆえに、新興宗教には「反社会性」が必要であり、その反社会性は「教義」という形で組織の中に組み込まれていく。
社会不適合者を獲得する
既に述べた通り新興宗教の本質は「反社会性」である。
だから、教祖がまず第一に行うべき事は「今現在の一般的な社会の価値基準において幸せになれない人を見つけること」であり、そしてその次に「反社会的な価値観を与えてその人を幸せにする事」である。
ゆえに、よく一般論として社会的底辺ほどカルト宗教にハマりやすいと言われるのはそういう事なのだ。
論理武装を行う
だが、そうした「反社会的な価値基準」を与えるためには、何故それが正しいのかという論理武装が必要だ。
やはり、物事は何でもそうだが論理的に筋が通っていないと人は納得しないものである。
だから、「教義」は「哲学」として理論的に完成されて無ければならない。
試しにキリスト教でも仏教でも何でもいいが、適当な宗教の適当な入門書を読んでみると良い。
一般的なイメージに反して宗教というものは実に論理的に出来ている事がわかるはずだ。
日本人は宗教嫌いだからこそ狙い目
だが、日本人の多くは宗教嫌いでまるで脊髄反射の如く宗教を頭ごなしに否定する。
しかし、頭ごなしに宗教を否定するからこそ日本人は宗教に対して適切な知識が無く、適切な知識が無いからこそむしろ騙し、付け入る隙きがあるとも言える。
相手を騙す上で「無知」程効果のあるものは無い。
確かに日本人は宗教アレルギーと言えるほど宗教に対して嫌悪感を持っているが、だからこそ宗教に対する耐性が無く勧誘しやすいのだ。
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